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JPN /
Innovation in the Cities
of the Future

未来の都市の
イマジネーション

  • 隈研吾

    建築家

  • 庵野秀明

    監督/
    プロデューサー

  • 谷中壮弘

    トヨタ自動車
    i-ROAD開発責任者

これからの都市はどう変化し、そこに生きる人々はどんなライフスタイルを送るようになるのでしょうか?
今までの枠組みにとらわれない未来を模索する、建築家、映画監督、トヨタのエンジニアといったジャンルの違う3人に集まって頂き、都市の未来について自由にお話し頂きました。
集まって頂いたのは、東京オリンピック・パラリンピックに向けて、東京の新たなモニュメントとなる新国立競技場の設計を手がける世界的な建築家・隈研吾氏。世界中に熱狂的なファンを生んだ『エヴァンゲリオン』シリーズ、『シン・ゴジラ』など、SFの世界から現代と近未来を行き来する都市像を描き出してきた監督プロデューサー・庵野秀明氏。そして、「i-ROAD」の開発から新たなモビリティのあり方を模索するトヨタのエンジニア、谷中壮弘氏の3人です。それぞれがイメージする、都市の未来を尋ねました。

    • 隈研吾

      建築家。1954年横浜生まれ。1979年東京大学建築学科大学院修了。コロンビア大学客員研究員を経て、2001年より慶應義塾大学教授。2009年より東京大学教授。1997年「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」で日本建築学会賞受賞、同年「水/ガラス」でアメリカ建築家協会ベネディクタス賞受賞。2002年「那珂川町馬頭広重美術館」をはじめとする木の建築でフィンランドよりスピリット・オブ・ネイチャー 国際木の建築賞受賞。2010年「根津美術館」で毎日芸術賞受賞。近作にサントリー美術館、根津美術館。著書に「自然な建築」(岩波新書)「負ける建築」(岩波書店)「新・都市論TOKYO」(集英社新書)がある。

      http://kkaa.co.jp
    • 庵野秀明

      監督プロデューサー。1960年山口県生まれ。学生時代から自主制作映画を手掛け、その後TVアニメ『超時空要塞マクロス』(1982年)、劇場用アニメ『風の谷のナウシカ』(1984年)等に原画マンとして参加。1988年、OVA『トップをねらえ!』でアニメ監督デビュー。1995年にTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を手掛け、1997年の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版』とともに社会現象を巻き起こす。1998年、『ラブ&ポップ』で実写映画を初監督。2006年、株式会社カラーを設立し、代表取締役に就任。自社製作による『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ(2007年〜)では、原作、脚本、総監督、エグゼクティブ・プロデューサーを担当している。最新作は脚本・総監督を務めた実写映画『シン・ゴジラ』(2016年)。現在は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を制作中。

      http://www.khara.co.jp
    • 谷中壮弘

      1993年トヨタ自動車株式会社入社。シャシー部品設計、走行制御システム開発など開発実務の後、新コンセプト車両企画や都市交通システムの調査・企画に従事。さらにこれを具現化する数多くのコンセプトカーやプロジェクトを開発・推進。中でもiシリーズと呼ばれる歴代のパーソナルモビリティに初期から携わり、現在はi-ROADの開発責任者。

小さな都市、
小さなモビリティへ

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この鼎談を始める前に、皆さまにはi-ROADをご覧いただきました。
この1〜2人乗り用のモビリティが生まれた背景にある「パーソナルモビリティ」という概念はどこから生まれたのでしょうか。

谷中壮弘(以下、谷中) 発明されてから長い間、自動車は「より速く」、「より遠くへ」、そして「より快適に」という、足し算で進化してきました。そうして車自体はより高機能で快適になっていったのですが、その一方で、複雑さを増す都市環境との関係は薄まってしまった側面もあります。

もちろん私はその自動車の進化を否定するつもりはありませんが、そこに機能を足していく以外のベクトルもあっていいのかもしれないと考えました。そのアンサーのひとつが、1〜2人用のモビリティだったのです。いま、車は家族で乗るものだけではない。1人乗りであれば、運転車だけの占有空間をもつことができ、小さな道にも入り込めて、駐車もコンパクト。そうした、これからの都市との関係を見直して編み出されたものがパーソナルモビリティなのです。

庵野秀明(以下、庵野) i-ROADのいいところは、移動そのものが気軽になることですね。自動車よりも気軽に乗り降りできるから、一度外に出たときに、数箇所の目的地にストレスなく立ち寄れるようになりそうですし、寄り道も楽しそうです。

隈研吾(以下、隈) ぼくは今まで、オープンカー以外に乗ったことがなくて。外の空気を感じながら車を走らせるのがいいストレス解消になるんです。夜や小雨の時でも全開ですよ(笑)。その点、i-ROADは外の空気を感じやすそうですね。それに、車体に合わせて身体が傾く感じがすごく面白かった。

隈さんは建築家として、世界中の都市の今を見ていられると思いますが、これからの都市にはどんなイメージを描いていますか?

 これまでぼくたちは「大きな都市」を目指してきました。しかしこれから向かう先は、「小さな都市」なのだと思います。たとえば建築の世界では、20世紀まで主役だった超高層ビルが、ドバイなどの経済都市を除いては姿を消し始めていくと思います。従来の都市は人間の寸法に比べて大きすぎるんです。

これからは人間の身体感覚に合わせて都市が再編成されてゆく。その意味で、人間の身丈に合ったコンパクトで低い建物がテーマになっていくと思います。そのプロセスにはもちろん自動車も含まれます。これまでは「2メートル×4メートルの鉄の物体」という自動車の寸法で都市の色々な要素が決まってきたけれど、これからはそのサイズを疑うことが必要になってくるでしょう。

谷中 そうですね。ぼくらは自動車には規定サイズがあるという固定観念にとらわれすぎていやしないかと。

庵野 「小さい都市」にはぼくも同感ですね。日本はこれから人口も減り、少子化は止められないだろうし、経済的な成長もそんなに期待できない。そのとき、「成長しない」ということを前提に都市を見直していくと、どんどんコンパクトになっていくのがいいと思うんです。自動車もそうでしょうね。

今の大きな都市は、その大きさによって失っているものが多すぎるんじゃないかと。どうも経済効率性ばかりを重視しすぎていて余裕がない。もう少し、周囲と調和し、暮らしに余裕を持てるようになった方がいいと思うんですよね。

 そうですよね、経済的に成長しない中でも豊かさは見出せる。いわゆるお金とは別の観点の豊かさっていくらでもあるわけじゃない? それを可能にするものとして、これからの都市や建築に求められるキーワードは、たとえば「小さい」、「やわらかい」、「あたたかい」といったものである気がします。

谷中 i-ROADも都市生活のコミュニケーションにおいて、「やわらかさ」を感じさせる存在でありたいと思っています。たとえば自動車は、走っている時間よりも、停まっている時間の方が圧倒的に長い。人口過密都市では駐車スペースを取るだけでも大きなコストになります。i-ROADであれば、従来は駐車スペースとして使われていなかったような軒下なども、柔軟に活用していけるかもしれません。

 軒下はいいアイデアですね! 実はぼくも今、軒下っていいなあと考えていて。近代建築では、フラットで庇(ひさし)のない建築の方が好まれてきましたが、本当は1メートルほどの庇があるだけで建物の印象が大きく変わるし、太陽光がカットできるため、熱をしのげるので建物全体の省エネにもつながる。それに今までの駐車スペースは、僕たちの図面では、だいたい2.5メートル×6メートルが基本なんだけど、それを狭い日本の敷地に入れると、住居部分が本当に小さくなってしまうんです。軒下くらいのサイズを駐車スペースにできれば、日本の建築事情が大きく変わると思いますよ。

都市に「調和」を生み出す、
機能とリノベーション

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隈さんが設計を進められる新国立競技場でも、木の庇が採用されていますね。周囲の自然と調和した、「木の建築」というテーマを掲げられた理由を教えてください。

 今の国立競技場は、ちょうど僕が事務所へ歩いて向かう通り道にあるのですが、あの周辺はイベントがないと人通りがほとんどなく、特に夜はひっそりとしていて、歩いていても寂しい場所だと感じていたのです。

そこで僕の設計する新国立競技場は、人々が寄り道したくなるような場所にしたいと考えました。周囲の小川や公園などの環境を整えたり、競技場の庇の上部に植物を植えたりして、周囲と調和した外観にすることで、歩行者にとって快適な環境を考えました。

この「歩行者」というのがポイントで、大体の建築家は、建築物を模型から考えがちです。ただ僕の場合、その建築周辺を歩く生活者からの視点をもとに発想したところが特徴的かもしれませんね。

庵野 とても共感します。東京には、人が下から見上げたときの視線が考えられてない建物ばかりですよね。つまり、「景観」という思考がない。どこもかしこも、「自分だけ目立てばいい」と主張するようなビルばかりが乱立していて、まったく美しくない。おまけに鉄とガラスだけでつくられたビルは、表面的なかたちをユニークにしようとしすぎていると感じます。

自分たちのことしか考えていないので、それが街の一部にあるという考えがあまりないんですよ。だから都市に一貫性がなくなるんです。現在の東京に唯一の美しさがあるとすれば、電柱くらいですよ。

一同 (笑)。

庵野 電柱が嫌いだと言う人がいるのもわかりますが、失くしてほしくないですね。電柱には機能美しかない。その潔いフォルムが、どの都市にも一貫性を保って存在している。そうした、一切ムダのないかたちがぼくはすごく好きなんです。景観に媚びることのない、電柱の持つ無欲さ、潔さは何ものにも代えがたいものがあると思っています。

 東京にはかつて「百尺規制」というものがあり、建物の高さは約30メートル以下に制限されていました。それは、世界的に見ても画期的でいいルールだったと思うのですが、それが廃止され、容積率による規制が導入されることになる。そのため、東京が本来持っていた「小さくて機能的」というキャラクターが失われてしまったんですよね。

庵野 そうですね。東京はパリのような町でよかったと思うんですよ。高層ビルなどは郊外に建て、東京の中心部は割と低層の町並みにする。その方が空も広くて綺麗だっただろうし、居住や仕事も規模に合わせた感じで、快適で合理的だったと思うんです。

谷中 「小さくて機能的」はi-ROADのコンセプトでもあります。都市の移動は、それぞれの都市に見合った形態が必要なんだと思いますね。

 それに、日本人が「コンクリート建築は強くて安全で、永久に保たれる」という錯覚に陥ってしまったことも、都市の高層化を生み出した原因かもしれません。

けれど、ぼくは木造の方が、はるかに柔軟性が高く、サスティナブルな建築だと思うのです。たとえば木材であれば、傷んだ部材だけを取り替えることで、建物の状態を長く保つことができる。しかし、コンクリートは一部がれたらすべて改修するしかない。0か1かの世界なんです。

また、コンクリートは経年変化によって必ずクラック(ひび割れ)が入り、水が浸入して内部の鉄骨が腐食する。「コンクリート建築は100年もつ」と言われてきましたが、伊勢神宮や銀閣寺のように、木造建築は手をかければ1000年という時間を生き抜くことができるんです。

庵野 昨今、この国には「古いもの」を「悪」と捉えるイメージがありますよね。昭和の家屋だって、リノベーションすればまだまだいい家になるところを、すぐに壊しちゃって、プレハブのような画一化された民家が建ち並ぶ。効率が優先された結果なんでしょうけど、そうして生まれる町並みは、どこか不調和ですよね。

 ええ、日本の現代建築が立て直しを前提としてきたからでしょうね。実はリノベーションして、手直しして長い時間使っていく方が日本人には向いているんですよ。たとえば江戸時代には、建物を支える構造柱の位置を自由に変えることのできる建築技術が生まれています。屋根に剛性を持たせることによって下の構造柱を動かせるようにする技術なのですが、これは世界には類を見ない大発明なんです。それによって、家屋の壊れた部分も少しずつリノベーションしながら使えるようになった。こうした調和のあり方こそ、日本の文化に組み込まれているシステムですから、もっと現代建築に生かしたいと僕は思っています。

谷中 自動車業界にも同じことが言えますね。ただ新車を作り続けるだけではなく、リノベーションして使い続けるようなシステムができてもいいかもしれないですね。もちろんその実現には産業構造全体の変革が求められますが、発想だけはもっと自由であるべきだと感じます。

「頭でっかちな未来」から、
「体で感じる未来」へ

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数々のSF作品をはじめ、20世紀にはさまざまな領域で未来の都市のイメージが描かれてきました。一方、実際にテクノロジーが進化していく現代において、今思い描く未来像はどんなものだと思いますか。

 僕は小学生の頃、メタボリズムの建築に憧れていました。社会の中で新陳代謝し、有機的に成長するような建築のあり方です。しかしそれは結果として、一度も「代謝」しなかったように思います。むしろ昔の木造の都市の方が、生き物のように新陳代謝を繰り返していました。

頭でっかちな未来の建築は、やはり機能しないんです。今の時代は、やわらかさや小ささとか、ようやく頭以外を使って、人間の身体感覚によりそって機能していく未来を考え始められるようになってきたんじゃないかな。

庵野 僕が子どもの頃の1960〜70年代は、大阪万博に強烈な憧れがありました。万博に行ったとき、「ああ、未来ってこうなるんだ」と単純に信じて、面白くて楽しい、科学で守られた都市生活が21世紀には実現するのだと感じていましたね。

でも大人になるにつれて、少しずつ違和感が生まれてきました。隈さんがおっしゃったように、万博は、やっぱり「頭で想像した未来」なんですよね。人間の理念を中心に考えられているので、経済効率などの良いところしか描かれていない。そこに人が住んだら、他の生き物がいたら、どんな問題や感覚が生じるかまでは描けていなかったんですよね。ちなみにぼくが万博の中で一番欲しかったのは全自動の人間洗濯機だったんです、お風呂が苦手だったので。

一同 (笑)。

谷中 効率性だけを重視するのではなく、人間の体になじむ感覚をとらえ直していく。それはi-ROADが目指したもののひとつですね。以前、ベトナムのハノイを訪れたとき、ハノイでは家族を3人も4人も乗せてバイクが走っています。するとあるバイクに乗った家族が、道端で朝ごはんを作っているおじいちゃんの前でバイクを止めて、楽しそうに会話を始めるんです。

もしここに、安価で快適な自動車が普及したら、このコミュニケーションはなくなるだろうと思ったんです。もちろん、バイクに代わって自動車が普及するのは、技術的には進歩です。しかし、その進歩が彼らにとって良いかどうかはまた別の問題だと感じました。

未来の人間にとって、より良い生き方とは何かを考えることが新たな進歩につながるのかもしれませんね。庵野さんは、ご自身の作品と未来の想像をどれくらいリンクさせているのでしょうか。

庵野 ぼくの作品で、未来のことを描いているものでも、実は現代を描いているんです。実現しうる未来を描くには、まず現代を的確に見つめないとわからない。しかし映画を作るには2、3年かかるため、その頃の社会はどうなっているかをある程度予測しながら作っています。とはいえ、近年は猛スピードで社会が変化していますから、それですらも読み誤ることが多々あります。

ぼくは昭和30〜40年代くらいの暮らしが日本人に合っているのではないかと思います。それを懐かしむのではなく、未来にまた別のかたちでそうなっていくと想像してみる。人口減少はなかなか止められませんし、今後はおそらく人々の求める感覚の方向として、自然と生活様式が回帰していく気がするんですね。

谷中 次なるモビリティは何かと考えていたとき、街のなかで目を閉じて立ち止まってみたことがあるんです。すると、聞こえてくる音のほとんどが自動車でした。「ゴーッ」という無数の自動車が走る音と、「ビビビーッ」というクラクションの音が都市に鳴り響いている。では、自動車が生まれる前は一体どんな音がする風景だったんだろうかと想像しました。

自動車や建物を単体で考えるのではなく、それらがつながって都市のシステムとして機能するとき、もっとありたい未来の姿は違ったのではないか。そう考えると自動車のかたちも、まだまだ変わっていける余地があると感じました。

庵野 隈さんのいう「木に戻る」という発想もすごくいいことだと思います。これは解剖学者の養老孟司先生も仰っていたことなのですが、たとえば今の建築は「できた瞬間が一番いい」ようにつくられている。しかし建築というものは何十年も保つものなので、数十年後に良い風体になっていくことを前提にしてつくるのが本来だと思うんです。

 何でも新しく作り替えるのではなく、持続を前提に、「きれいに年を取っていく」建築をつくりたいと思います。以前、東京農業大学で建物を設計したとき、そのときの学長に「隈くんね、色が変わらないような材料を使っちゃダメだよ」と言われたのに驚いたことがあります。「はじめの最も美しい状態を維持しろ」と言われることばかりですからね。その先生曰く、「生き物の世界で、変化しないのは化け物だからね」と。それ以来、変化しない建築は化け物だ、と思うようになりました(笑)。

建築家は建物をつくることで精一杯で、これまで施主に渡した後のことまで考えられていませんでしたが、持ち主が壊してしまっては意味がない。だから、だんだんと経年劣化しても、数十年後に美しくある状態を維持できるような素材選びをしていきたいと思います。

庵野 これから先、都市の未来に必要なことは、進化よりも「逆転の発想」だと思います。マラソンって、大抵折り返し地点があって、それまで走ってきた道を戻るようなコースを走りますが、走行距離が減っているわけではないですよね。「進化」というものも考え方によっては、ある地点までたどり着いたからこそ、過去のあり方に逆行してもいいんじゃないかなと。

 自動車も建築も、自分の領分のことだけを考えていてはダメなんですよね。つまり「隣を考えろ」ということで、これからの都市や未来を考えるとき、建築にとっての隣との関係性、さらには自動車が走る道路の隣や、その周囲にあるコミュニケーションも一緒に考えていかなければならない。その必要性は随分前から言われていたけれど、考えるための場自体がつくられてこなかったんです。今回の対話を通じて、実はそれが一番重要なんだと再確認しましたね。

谷中 人間はアナログな存在であることを踏まえて、同じ人間として、ありたい未来を五感で感じ、それに沿ったモビリティをつくりだせるようなパートナーでいたいですね。

Edit by Arina Tsukada / Text by Hirokuni Kanki / Photo by Takeshi Shinto / Translation by Luke Baker / Location: PIGMENT Tokyo